院長紹介
プロフィール
専門分野 | 消化器内科(胆嚢・胆管・膵臓疾患) |
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経歴 |
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院長インタビュー
「地元に恩返し」医師としての学びを地域医療に活かすために
生まれも育ちも前橋市なので、ここ前橋は本当の地元になります。
大学は東京でしたが、医師として学んだことを地域医療に活かしたいなと思った時に、せっかくならば地元に還元できないかということでこちらで開業することに決めました。
学生時代は、とくに中学高校はキックボクシングに明け暮れていました。
地元の友人とのちょっとした遊びやコミュニケーションが楽しくて、みんな家族のような環境で育ててもらいました。田舎ならではの人間関係です。
学校の成績や親の職業も関係なく、誰とでも分け隔てなく付き合えるあたたかい環境があるのが前橋の良いところです。そんな経験があったからこそ「大好きな前橋で働きたい」「お世話になった人たちのために役に立ちたい」と強く思うようになりました。
人生の最期に関わる「訪問診療」という選択
専門は膵臓がんです。
大学病院時代に出会った患者さんの中には、30代で出産したばかりのお母さんに膵臓がんが見つかり、抗がん剤治療のために母乳を与えることができなくて病棟で泣きながら搾乳をしている方もいましたし、働き盛りの40代50代の方が膵臓がんで余命1ヶ月と宣告されて、あっという間に亡くなられた方もいらっしゃいました。
様々な患者さんと出会いましたが、がんの告知を受けた方の多くが驚くほど凛としていたことが印象的でした。
どんな方でも一度は「余命宣告」に驚かれますが、皆さん年令に関係なく、100%の方が病に立ち向かっていらして。患者さんとしてではなく、人としてすごいと思いました。
大学病院時代には「命を延ばすための治療」に関わってきました。
実際に高度な医療で延命できたケースもあります。
しかし、効果的な治療が望めない末期の方が「治療を辞めて自宅に帰りたい」と希望された時、大学病院で提供する医療では対応することができませんでした。大学病院は高度な医療を提供し、研究することで広く社会に貢献をしています。ひとりの医療者として「どうしたらその人らしく生きてもらえる支援ができるのか」を考えるようになってからは、大学病院の中では私が目指す医療を実現するのは難しいと感じました。訪問診療を選んだのは「人として人生の最期を素晴らしく過ごすサポートがしたい」と思ったからです。
「提案する医療」で希望を叶える治療の提供を
大学病院などの高度先進医療機関では医師から[このように治療をしていきましょう]というように、医師主体で治療方針を決めていくことが多いと思います。在宅医療の場では患者様、ご家族様、医療者が同じ目線で話し合いをしながら療養の方針を決めていきます。患者様、ご家族様の意向をまず伺い、その意向に沿って医療者が方針を提案する、そのような形が在宅医療の形ではないかと私は考えています。
患者さんご本人だけでなくご家族の希望も含まれますから「楽になりたい」というご本人の意志と「できる限りのことをして生きてほしい」といった家族の意見の違いから、難しさを感じることもあります。ただ、共に考えて治療を選択していくことで、ご本人にもご家族にも時間を大切に過ごしていただくことができると思っています。
精神科医の診療も週1回行う
当院では精神科の医師も訪問診療を担当しています。毎週水曜日の午前・午後は精神科医がご自宅に伺って直接診察にあたりますので、認知症の周辺症状(怒りっぽくなる、暴言や興奮状態がある)やせん妄(意識が混乱してしまう)、精神疾患をお持ちの方も適切な精神科診療が可能です。
「直接診察する」という医師としてモットーを忘れずに
医師としてのモットーは「必ず診察をする」ということです。
医師が診察をするというのは当たり前のように感じるかもしれませんが、現在は自動血圧計や画像診断など直接触れなくても診察ができてしまう便利なツールもあります。
しかし、患者さんにとっての安心感のひとつには「医師が患者さんに直接触れて診察する」ということも間違いなくあると思っています。お腹が痛いといえばお腹に触れるとか、動悸がするという患者さんには心電図を見るだけではなく胸の鼓動を聴くなど、当たり前のことを当たり前に行う医師でありたいと思っています。たとえ、診察や検査結果で異常がなかったとしても、患者さんがつらい症状を感じているのは事実なので、患者さんの訴えに寄り添える医師でありたいです。患者さんに寄り添い診察をすることは、私の信念です。せせらぎ診療所とはそういった信念を大切にする場所であり続けたいと思っています。
地域の役に立てる医師でありたい
ここ数年の社会情勢もあって、これまでのような「当たり前の医療が受けられる環境」が崩れてしまい医療崩壊とも呼ばれました。
地域医療を担う立場としては「当たり前の医療が受けられる環境」が崩れてしまうことは防がなくてはならないと思っています。
もともとここ前橋で開院したのも「生まれ育った地域に恩返ししたい」という思いがあったからです。今後も当初の思いを忘れずに、医師としてできることで地域の皆さんにお返ししていきたいです。